家に智絵里軍団

シンデレラガールズと雑談のパッチワーク(主にプロレス・自転車談義)

ホワイトアウト・クリスマス

白い濃霧の朝だった。

背の高いことだけがかろうじて分かる輪郭の曖昧な正門をくぐり抜けた祐巳は、ほとんど手さぐりしながら銀杏並木に囲まれた校舎への道を歩いていた。
生まれて初めて見る高濃度の霧である。
手を伸ばすと指の先が霞んでしまうほど。
五里霧中、という四字熟語が頭に浮かぶ。
タイを直されても気付かないような白濁の世界。

そんな右も左も上も下も分からない、時間の感覚すら失ってしまいそうな真っ白い空間のただ中を、脇にそれて木に激突したりしないように、
「まっすぐ、まっすぐ」
と心の中で念じながら、足下に注意して慎重に歩を進める。
ミルクティーの中を泳ぐ魚はこんな気分かもしれない、と祐巳は思った。

下ばかり見ながら歩いていたおかげで、敷石のパターンが変化したのに気付くことができた。
マリア様のいらっしゃる分かれ道に無事到達した証である。
といっても、マリア様のお姿はまったく見えない。
普段は清楚や清純の代名詞である白という色が、今日は無粋な存在と化して視界を覆っていた。
祐巳は首をかしげ、
「う~ん」
と、唸った。
毎朝見ているものが今日に限って見えないというのは、爪を噛みたくなるほど落ち着かない。
今この瞬間だけ、ほんの少しで良いから霧が晴れてくれないものか。
そんなことを考えながら、マリア像があるはずの位置に向かって歩み寄る。

そのとき。

祐巳の願いがマリア様に届いたのか、霧がうごめき、見る見るうちに薄らぎ始めた。
白いヴェールが一枚ずつ剥がされるように、徐々に視界が鮮明になってゆく。

そして。

「え?」

祐巳はそれを見た。
いや、見えなかった。

正確に言うならば、何もない空間、を見た。

「そんな」

驚愕のつぶやきが、霧と混ざりながら溶けてゆく。

祐巳は確かに見た。
そして、確かに見えなかった。

霧の晴れゆく分かれ道。
木立と柵に囲まれて、白く四角い台座がひとつ。
朝露に濡れ輝くその台座の上から、

 

 

マリア様のお姿が消えていた。

 

 

数分後。

祐巳は、薔薇の館の会議室にいた。

確かあのあと。
呆然と立ち尽くしているところに、お姉さまがやってきて、薔薇の館に引っぱられていった、ような気がする。
ショックのためか記憶が判然としない。
祐巳を引っぱってきたお姉さまも今は、いつもの席に腰掛けたきり黙り込んでいる。
その他の面々も、泣けばいいのか笑えばいいのか分からないという顔でただそこに座っているだけ。
そんな室内の様子から、先ほど見た光景が嘘偽りのない事実なのだと改めて確認できた気がした。

マリア像が消えた。
言葉にすればそれだけのこと。
だが、祐巳たちが受けた衝撃は絶大なものだった。
単に、大きな質量を持つ石の塊が忽然と消えた、というだけでも充分すぎる異常事態なのに。
ましてや消え失せたのはリリアン女学園の象徴ともいえるマリア像。
精神的な支柱を無断でいきなり取り払われたようなものだ。
それは、物理的にも心理的にも到底受け入れがたい事態であった。

祐巳は薔薇の館にいながらにして、学園を包む異様な雰囲気を感じ取れる気がした。

かく云う山百合会も。
対策を練る、と称して集まってみたのだろうが機能は完全に麻痺している。
いや、麻痺というよりはむしろ、弛緩している。
何かしたいけど出来ないのではなく、何かしたいという意志を作り出す器官そのものが萎縮してしまっている、そんな感覚。
恐らく教師やシスターたちも同じように集まって同じように呆然としているのだろう、ことによると学園内でいちばん冷静なのはもしや自分ではないか、とすら祐巳は思った、無根拠に。

 

それから数分後。
けっきょく何一つ為す術もないまま、緊急会議は自然消滅的解散の運びとなった。

だが。
そのころにはもう、祐巳には分かっていた。
マリア像が消え失せた、その元凶の正体が。

 

最後に薔薇の館を後にしたのは祐巳だった。
もちろんそう仕組んだのも祐巳である。
いっときに比べると霧はだいぶ薄くなっていて、先に外に出て中庭を行く六人の背中をなんとか見分けることが出来た。

その中のひとりの背中に視線を据える。
彼女が『元凶』だ。
根拠は無いが、何故か確信はあった。
それもまた、冷静が聞いて呆れる異常な感覚だとは思ったが、そもそも今は異常事態であるから。
かくして祐巳は、己の無根拠な確信を根拠も無く信じることにした。

ならば、あとは、直撃あるのみ。

 

祐巳は意中の背中にそっと近づき、袖を引いて耳元で囁いた。

 

 

由乃さん、話があるんだけど」

 

 

立ち止まり振り向いた由乃は、凄い目で睨みつけてきた。
やがて、ついて来い、と云うようにあごを動かすとさっさと霧の中に姿を消してしまった。

その後を追いながら、ビンゴ、と祐巳は思った。
由乃さんは余人と違って弛緩していない、正気で事態を把握している。
そしてそれゆえ懊悩している。
困惑ではなく懊悩なのは、由乃さんが原因を知る『元凶』であるからだ、と祐巳はそう理解した。

由乃が向かった先は、薔薇の館とは反対側にある、いつかと同じ木の下だった。
近くにだれもいないことを確認するように辺りを見回すと (といってもまだまだ視界は悪いのだが)、背を向けたまま短く尋ねる。
「話って、なに?」
「うん、その」
わずかに逡巡したのち、祐巳は意を決して云った。
「あれ、由乃さんでしょ」

「……あれ、って?」
「……マリア様が、消えたこと」

由乃くるりと振り返った。
条件反射のような、意志を感じさせない動作だった。
こちらを向いた顔が見る見る悲壮な表情になり、最後にはゆがんで泣き顔に変わる。
祐巳……!」
涙がこぼれ、由乃祐巳にすがりついた。
「私、とんでもないことしちゃった……」

 

数分のあいだ、祐巳は泣く由乃をなだめていた。
やがて落ち着きを取り戻して、由乃は切り出した。
祐巳さん、去年の『三年生を送る会』のこと、覚えてる?」
祐巳はちょっと顔をしかめた。
あまり思い出したくない要素を含むイヴェントであることと、それがマリア様の消失とどう関係があるのか分からない苛立ちから出た反応だった。
「……覚えてる、けど」
「じゃあもちろん、私の披露した芸のことも、覚えてるわよね?」
祐巳はますます顔をしかめた。
すがりついたままうつむいている由乃には見えないはずなので、遠慮はしなかった。
「……うん、マジック、だったよね」
「そう、マジック。手品」
マジック。手品。
そのフレーズを聞いた途端、祐巳は、
「……ああ」
そうか、そういうことなのか、と一気に事の真相を悟った気がした。

由乃は続ける。
「実はあれから私、マジックに凝り始めたの。本を読んだり、練習したり。自分で云うのもなんだけど、才能あったと思う。かなり上達したのよ」
「……そう、だったんだ」
そんなこと、祐巳はぜんぜん知らなかった。
「うん。カードを操ったり、コインを消したり。でも、……そのうち、そんなことでは飽き足らなくなってきた。もっと大きなことをやってみたくなった」
由乃は伏せていた顔を上げ、祐巳を見た。
涙は消えていたが、祐巳を掴んだ手は離さなかった。
「……祐巳さん、マジックの華ってなんだと思う?」
「華?」
唐突な問いにそう問い返した祐巳だったが、由乃は会話の停滞を拒否した。
「それは『消失』、物を消すことだと私は思う」
「……消失。ああ」
やっぱり、そうなんだ、という祐巳の呟きが聞こえたのかいないのか、由乃は構わず続ける。
「『消失』はマジックの基本にして王道。大掛かりなマジック、つまりイリュージョンの多くが人間や大きな物体を消すことで成り立っていることからもそれが分かるわ。『瞬間移動』だって『脱出』だって、『消失』があってこそのものよ。だから……」
言葉を切った由乃の目に、再び涙が出現する。
「だから私も、何か大きな物を消してみたくなった」
「……それで、マリア像を」
「……うん」
呟くように頷いた由乃の目から涙が落ちた。
「……いつ、消したの?」
「昨日……ううん、今日の未明。夜霧にまぎれて忍び込んで、消した。もちろん、準備はずっと前からしてたけど、でも、……まさかほんとに消えるとは、ほんとに消せるとは思わなかった」
涙が流れるまま、由乃は少しだけ微笑んだように祐巳には見えた。
「消えたときは驚いた。そして嬉しかった。でもそのあと、興奮が醒めて……急に怖くなった。自分は情熱に魘されてなんてことをしたんだろう、早く元に戻さなきゃ、って。でも……」
「……まさか、戻し方が?」
「……そう、分からなくなってた。どうすれば戻ってくるのか、綺麗さっぱり。それこそ、マリア様と一緒にどこかに消えてしまったみたいに……」
莫迦みたいよね、と由乃は泣き笑う。
「……消すだけ消して、戻せないなんて、莫迦みたい。とおりゃんせじゃあるまいし」
「……あの、そもそも、どうやって消したの?」
それが分からないとどうしようもないと思い、祐巳は尋ねた。
が。
「駄目!」
泣きながら笑っていた由乃が、今度は泣きながら叫んだ。
「それを訊いちゃ駄目。マジックはタネを明かさないのが鉄則。云うわけには、いかないわ」

なら、残念だけど処置無しね、と祐巳は思った。
口には出さなかったが、由乃にも伝わったらしい。
すがりつく手に力がこもり、涙の流れに拍車がかかる。

「……私、どうすればいいんだろう」

マリア様に祈れば?なんて云えなかった。
そもそもマリア様はいないのだから、それはディレンマだ。
いやパラドックスか。
もはや祐巳にはどうでも良かった。

 

ふと見ると、霧が再び勢力を盛り返し、中庭に渦を巻き始めていた。

いっそ霧に包まれてすべて消えてしまえばいいのに。
由乃さんも、私も、残った台座も、消えたマリア様も、この学園ごとすべて消えてしまえばいいのに。
そうすればこんなこと、なんでもなくなるのに。

泣き続ける由乃を胸に受け止めたまま、霧に巻かれて揺られながら、祐巳は最後にそう思った。

 

 

<white out>

(初うp→05/12/27)

………………

P「この書き出しはたぶん、『暗い嵐の夜だった』のパロディだと思います」

比「『イヴェント』とか『ディレンマ』っていう表記がウザいっス」
P「明らかな誤字を除き、表記はいじっておりません。あとは、都合上、一部の改行をいじっているのみ。ほぼ、当時のままでお届けしています」

文「…これは、なんなのでしょう。幻想小説ですか」
橘「そんな大したものではないと思います」

P「当時のひと言説明文によれば『象徴の消失の消失』ですって」
杏「なるほどわからん
凛「なんかかっこつけたかったんだなって、それだけは分かるよ」
神「凛にそう言われたら、もうなにも言えないなあ」
凛「どういう意味かな奈緒

P「『タイを直されても分からない』とか『ミルクティーの中を泳ぐ魚』とか、わりとお気に入りの表現です」
夏「アンタがよく言う“キャッチ―”なやつか」
P「ある話を読み終わったあとにまず思い出すのって、ストーリーやシーンやキャラクターより、むしろワードやセンテンスだと私は思うんです」