家に智絵里軍団

シンデレラガールズと雑談のパッチワーク(主にプロレス・自転車談義)

シュレディンガーの狸

今にも雨が降り出しそうな、澱んだ曇り空の下。

薔薇の館が見下ろす中庭の一角に、五人の生徒が集っていた。
不気味に生ぬるい風が、館の周りを、そして五人のあいだを吹き抜ける。

「『シュレディンガーの猫』を知ってるかしら?」

おもむろに口を開いたのは水野蓉子だった。
風を切り裂く真空波のように鋭い、否、鋭すぎる声。
それに答えたのは蓉子の妹、小笠原祥子

不確定性原理の説明に使われる寓話ですね」

その美声が、姉のそれに劣らぬ切れ味で駆け抜ける。

「不透明な箱の中に『猫』が一匹。そのすぐそばに『一分後に崩壊して放射線を発生させる確率が50パーセントの原子』と『放射線を感知する装置』が一つずつ。そして、その装置は『青酸ガス入りのビンのふた』と連動している」
「つまり」

島津由乃が口を挟む。

「原子が崩壊したら……装置がそれを感知して……ビンのふたが開く。……という仕組みですか?」
「そういうことね」
「青酸って」

由乃の姉である支倉令も、恐る恐るといった風情で会話に加わる。

「猛毒よね?ということは、ふたが開いたら猫は死ぬってこと?」
「そういうことになるわね」

祥子が感情のこもらない口調で答える。

「それってつまり……どういうことなんですか?」

由乃が腕を組んで難しい顔をしながら訊く。

「猫たちが入っている箱は不透明」

冷気を帯びた蓉子の声が低く響く。

「外部からは、猫の様子も原子の様子も装置の様子もビンの様子も分からない。さて、今から一分後……猫は生きているかしら?それとも死んでいるかしら?」
「『50パーセントの確率で生きている』と思います」

由乃が即答する。

「それでは正解にならないの」

蓉子は無情に言い渡した。そして、促すように祥子に視線を向ける。
と、姉の意を酌んで祥子が頷く。

「この場合の答えは……『一分後の猫は、生きてもいなければ死んでもいない状態にある』よ」
「そんな!」

由乃がすかさず抗議の声を上げる。

「『生きてもいない死んでもいない』なんてそんなことあるはずありません!『生きているか死んでいるか』どちらかのはずです!」
「詳しく言うと」

蓉子が話を引き継いだ。

「『猫の生死は、観察者が箱を開けて中を見た時点で決定する』の。それまでは猫は半生半死の状態にある、というわけよ」
「じゃあ……」

納得いかないといった表情で由乃が口を開く。

「『猫が生きているか死んでいるかを決定するのはふたを開ける観察者である』ということですか?」
「そのとおりよ」

蓉子が始めて笑った。この世の最期のような、美しく凄絶な微笑。

「あ、あの……」

令が困惑と怯えに満ちた顔で尋ねる。

「大変勉強になりましたけど……そ、それが今の状況とどういう関係が?」
「あの部屋の状況」

蓉子が薔薇の館の二階の窓を振り仰ぐ。
つられてその他の4人も彼女の視線の先を追った。

「『シュレディンガーの猫の箱』と似ていると思わない?」
「そ、そう……ですか?」

令が首をかしげる

「あの部屋にいるのは誰かしら?」
祐巳さんと聖さまです」

由乃が再度即答する。

「そう。一つの部屋の中にいたいけな猫……もとい子羊……いえ、狸が一匹。そしてそのすぐそばには、一分後に理性が崩壊して放射線よりもっとたちの悪いものを発生させる可能性が50パーセントではきかない狼が一匹」

 蓉子は少し間を取り、大きく息を吐いた。そして続ける。

「さて、今この瞬間……部屋の中の狸は襲われているのかしら?それとも無事なのかしら?」

 

沈黙。

つばを飲み込む音が二つ響いた。

 

「さっきの話を応用すると」

由乃が額に汗を浮かべながら答える。

「狸は今、襲われてもいなければ無事でもない状態……ということですか?そして現実問題として、誰かがあの部屋に踏み込んだ時点で無事かそうでないかが決定する……と?」
「そんな悠長な話ではないわ!」

突然、祥子がエクスカリバーのように鋭く叫んだ。

「誰かが踏み込んで決定するまでもなく、今!狸は半分襲われた状態にあるのよ!」
「そう、狼と狸が一つの部屋で二人きりになった時点で狸は半分襲われたことになる。わたしが言いたかったのはそれよ」
「つまり、わたしたちが今からあの部屋に踏み込んで決定するのは『狸の安否』ではなく……『狼の処遇』なのよ!」

 

絶叫。
そして沈黙。

五人のうち二人が身を震わせた。

 

「では、中に入りましょうか」
「そうですね」

蓉子と祥子が、顔を見合わせて頷きあう。
そして音も立てずにドアを開け、二人は室内に足を踏み入れた。

令ちゃん
「う、うん…」

令と由乃も、汗の浮かんだ顔を見合わせぎこちなく頷きあう。
そして二人は無言のまま、開けっ放しのドアを通って中に入った。

 

そして、あとには一人……

終始無言だった、藤堂志摩子が残された。

 

彼女は薔薇の館の二階の窓を仰ぎ見る。
が、すぐに背を向けた。

 

これから二階の部屋で何が起きるのか?
それがどう終結するのか?
その結末が今後にどのような影響を与えるのか?

 

志摩子にはすべてがわかっていた。

 

「降り出すまでには帰れそうね」

 

墨色の空を見上げてそうつぶやくと、藤堂志摩子は静かに歩き出した。

ほどなくして館の二階から聞こえてきた悲痛な叫び声にも、決して振り返ることなく……

静かに静かに歩き去った。

 

 

<おわり>

(初うp→04/4/9)

………………

P「聖さまといえば、たぶん原作で一番人気のキャラですが……いま思い返せば、ほとんど書いたことないです」

橘「これ、オチはどういうことなんですか?」
P「やっぱり伝わりませんでしたか。解説するのもカッコ悪いのですが……これは、『志摩子さんは“ラプラスの悪魔”だった』というオチなんです」
神「出たよ“ラプラスの悪魔”!」
比『“シュレディンガーの悪魔”と並ぶその手の人の御用達っスね!』

文「…マタイ5章28節。シスター」
ク「『だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである』……この聖句が何か?」
文「…その聖句に対して、『見ただけで姦淫になるなら、いっそ手を出してしまったほうがお得』…という論法があると聞いたことが」
ク「なんと愚かな。姦淫は“罪”なのですよ?」
文「…作中の祥子さまと容子さまの論法と、似ている気がします」
神「アタシはむしろ『可能性を生み出しただけでアウト』って言葉を思い出した」